「心から楽しめるようになる」は、うつからの回復の目安
さて、このアンヘドニア(失快楽=以前楽しかったことが楽しめなくなること)は、それまで健康だった人にとっては、心の不調の目安になりますが、逆に、すでにうつの症状があって、休職などをしていた人にとっては、この「アンヘドニアの“消失”=心から楽しめるようになる」ことが、うつからの回復の目安になります。
つまり、「うつの症状が表れる以前に、かつて楽しいと思っていた趣味を、また楽しめるようになった」「心から楽しいと思える、わくわくする新しい趣味に出会った」というような事象は、楽しいと感じる、こころの機能が回復したという表れでもあるわけです。
わたしの患者さんのAさんは当時56歳で、大手企業に勤務する会社員でしたが、短い「そう状態(気分が上がり、高揚している状態)」の後に、長い「うつ状態」がやってきて「そううつ」を繰り返す双極性障害という病気で会社を休職していました。
この双極性障害というのは、ごく短期間の「そう状態」があることを確認して初めて診断できる病気で、診断がとても難しく、一般的なうつとは薬も違えば、治療方法も異なる病気です。そのため、誤って「うつ」と診断されてしまうと、休職を繰り返すことになりやすいという特徴があります。
Aさんも正しく診断されるまでに3回休職を繰り返したこともあって、勤務先企業の人事からの評価は厳しく、50歳で子会社に出向して管理職になりましたが、仕事はあまりなく、いわゆる閑職に置かれました。さらに、2020年はコロナの影響で勤務先企業は大赤字となり、Aさんの給与もカットされることになったと言います。
それを機に、Aさんは今後の人生を考えるようになり、先日の診察で、こう言いました。
畑での野菜作りが、とても楽しいんです
「先生、わたしもそろそろ定年が近づいてきて、もうこれ以上、出世するなんてことはあり得ないし、定年退職後の老後を、どうやって健康的に過ごすかを考えるようになりました。実は、いま小さな畑を借りて、週末に野菜を作っていますが、これがとても楽しいんです」と、Aさんは言います。
聞けば、畑を借りて、土を耕して、野菜作りに詳しい人に教えてもらいながら、いろいろな野菜を植えて育てていると言います。自分で育てた野菜がとてもおいしく、家族でそれを食べるのが何よりうれしいと、Aさんは笑顔で話します。
「土をいじり、水をやり、肥料を与え、汗をかきながら、日々成長していく野菜たちを見るのが楽しい。手をかければ、かけただけ成長がうれしくて。そして収穫の喜びがある。自分が育てた野菜を、家族でおいしく食べていると幸せを感じ、やりがいを感じます」
「定年まで働いたら、退職後は再就労はせずに、貯金と退職金と年金で、倹約しながら、つつましく野菜作りの農業を楽しみ、自分で作った野菜を食べる。そんな暮らしをしていきたいと思うようになりました」と、彼はそう言って笑います。
「心から楽しいと思える」のは回復の証拠
その彼の明るい笑顔を見て、「ああ、この人は心から野菜作りを楽しんでいる、楽しめているんだな」と、わたしは彼の病気からの回復を実感しました。心から楽しいと思える。これは、うつから回復しつつあるという証拠といえるのです。
うつから「治る」というのはそういうこと。彼が楽しく野菜作りを続けていけば、老後は充実した人生を歩んでいけるのではないか。生き生きと生活していけるなら、薬もいずれ要らなくなる。完全に薬をやめられたら、病気は治ったということです。
かつて、同じような患者さんがいました。その彼はIT企業の部長で、うつの症状が出て休職しましたが、釣りが大好きで、釣りをしているとわくわくする。そして、いっぱい釣れるものだから、それを誰かに食べさせたいと、そこにもわくわくして、結局、彼は会社を辞め、自分が釣った魚を出す居酒屋を作ったら、薬がいらなくなり、病気が治ったのです。
うつが治るというのは、そういうことなのだろうと思います。